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【ACD2022講演レポート1】アジア各国から注目される「誰一人取り残さない日本の栄養政策」

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 第8回アジア栄養士会議(The 8th Asian Congress of dietetics;ACD2022)の初日に行われた講演「Nutrition Policy in Japan to Leave Registered Dietitians/Dietitians(誰一人取り残さない日本の栄養政策と管理栄養士・栄養士の役割)」。厚生労働省健康局健康課栄養指導室 室長の清野富久江氏が登壇しました。
 その直前の講演「Japan Nutrition(ジャパン・ニュートリション)」で座長を務めたアジア栄養士連盟(Asian Federation of Dietetic Associations;AFDA)のChwang Leh-Chii名誉会長が、「日本のこれまでの知見がアジア共同の取り組みとなるように先導してくだされば、アジア全体でより良い世界への貢献もできると思う」と日本の栄養政策を賞賛したとおり、アジア各国では栄養の専門職である栄養士を養成し始め(すでに栄養士が存在する国ではより多くの人数を養成して)、国内への配置を進めていこうと動き始めています。約100年前から国の政策の1つとして栄養政策を展開し、第二次世界大戦後の食糧難の時代から長寿国へと歩んできた日本の経緯を参考にしようと、どの国の栄養士からも注目が集まりました。
 講演で清野氏はまず、日本の栄養政策を主導する厚生労働省では「時代とともに変化する栄養課題への対応」をしてきたことを挙げました。そして、1920年に国立の栄養研究所を設立してから今日までの約100年間を、「食料不足を主要因とする栄養欠乏への対策の時代」、「経済成長に伴い過栄養による非感染性疾患への対策の時代」、「少子高齢社会に伴うより複雑な栄養課題への対策の時代」の大きく3つの時代に分けることができるとし、それぞれの時代の取り組みを詳しく述べました。
 「日本は、古くから冷害等の気候変動等による食料不足から、栄養欠乏に幾度となく直面していました。日本にとって、国の発展に栄養改善が不可欠でした。そうした中、栄養政策をしっかり展開していくためには、それが科学的エビデンスに基づくものである必要がありました。その調査・研究機関として1920年に栄養研究所が設立されました。戦前の1937年にはプライマリー・ヘルス・ケア(Primary Health Care;PHC)の基盤となる保健所法が制定され、母子保健や母子栄養を始めとする地域の健康増進の拠点として保健所の整備が始まりました。また、戦後の1947年には栄養士法が公布されて、国の政策として栄養の専門職を養成し全国に配置し始めました。日本は、経済成長をする前から、保健所に栄養の専門職の配置がなされ、栄養政策を始動・推進する体制ができていたということです」
 現在、世界中のとりわけ開発途上国で課題となっている栄養不良の二重負荷は、経済発展による都市部や富裕層での過体重・肥満者が増えている一方で、農村地域や貧困層での栄養不良者の減少がみられないことです。各国で栄養改善の体制づくりが急がれる理由はここにあります。
 日本は健康づくりの拠点と専門職の配置がなされた結果、「戦後の1950年頃には栄養欠乏は概ね解消できていた」と清野氏は評価しました。しかし、経済成長に伴う食生活の変化と非感染性疾患(NCD)への対策に取り組んでいくこととなりました。国民健康づくり対策が1978年から開始され現在の「健康日本21(第二次)」まで継続していることを伝えました。
 清野氏は、今後も少子高齢化は続くなか、「より複雑な栄養課題への対策が必要になっている」と述べました。

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栄養士制度は時代ごとの栄養課題に対応

 続いて清野氏は、2つ目のテーマとして「法律に基づいた、管理栄養士・栄養士の栄養改善活動と配置」について解説しました。
 1924年に私立の栄養学校が創設されて栄養士の前身となる栄養専門職が養成され、 戦後の1947年に制定された「栄養士法」で栄養士の養成が国の法律で制度化されました。その後、1961年には国民皆保険が実現しユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(Universal Health Coverage;UHC)を達成して、すべての国民がどこでも保健医療サービスが受けられる状態となりました。その翌年の1962年には栄養士法の改正で「管理栄養士制度」が創設され、管理栄養士の養成も始まりました。40年ほどの時を経て2000年に栄養士法の一部改正により、管理栄養士は傷病者や高齢者をはじめとする複雑な栄養課題を抱える対象者の栄養管理を行う人材として、その役割が明確化されました。
 時代ごとの栄養課題とともに上記の流れを説明した清野氏は、管理栄養士の免許公布数は累計で約23万人、栄養士の免許公布数は累計で約107万件であると右肩上がりに増えていく栄養の専門職数を示し、日本では管理栄養士・栄養士が自治体、保育施設、学校、病院、高齢者施設、自衛隊、刑務所、民間企業、研究機関など国内のさまざまな場所で仕事をしていることを紹介しました。

健康的で持続可能な食環境づくりが次の課題

 講演の3つ目のテーマとして清野氏は「SDGsに沿った栄養政策の強化」を掲げて、講演を進めました。
 持続可能でより良い世界を目指す共通目標のSDGsは17のゴール・169のターゲットで構成されており、すべてにおいて「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。このキーワードが今回の演題「Nutrition Policy in Japan to Leave No One Behind(誰一人取り残さない日本の栄養政策)」となっていますが、清野氏は「誰一人取り残さない栄養政策を実施してきたことが日本の特徴だと思う」と述べ、その特徴を3点挙げました。
 1つは、すべてのライフステージにおいて、全国各地で定期的な健診・検診が実施され、国民それぞれが自身の健康・栄養状態を把握できるようになっており、必要な場合は個別の栄養支援が受けられる体制が整っていること。また、高齢期においてもフレイル対策や低栄養予防を重視した取組が実施されていること。
 2つめは、傷病者の栄養ケアもカバーしているという点であり、公的医療保険によって、入院中だけでなく、外来や在宅においてもきめ細やかな栄養ケアを受けられる。このように、日本は「栄養のUHCへの統合」を実現している。
 3つめは、大規模災害時においても被災者への栄養・食生活支援の体制を整えていること。これは災害時に栄養・食事支援の活動をするだけでなく、平時から避難所での被災者の栄養管理のための栄養素摂取量等の指針を設定している。また各地域の人口や要配慮者に対して備えるべき備蓄量を自治体がシミュレーションできるようにしている。
 以上の説明のうえで、清野氏は「日本の管理栄養士・栄養士はPHCとUHCを進めるうえで重要な役割を担ってきました。そして、日本の栄養政策はSDGsに沿ってすべてのライフステージをカバーしているのです」とまとめました。
 加えて、昨年12月の東京栄養サミット2021での日本政府のコミットメントを要約して伝え、「誰一人取り残さない栄養政策をさらに進めるために、食塩の過剰摂取、若年女性のやせ、経済状況に伴う栄養格差などの課題に対処することによる、産官学などが連携した健康的で持続可能な食環境づくりの推進を含む主要な栄養政策パッケージを展開していきます」と今後の方向性を示しました。
 そして、「日本の100年以上の栄養政策の経験を活かして、持続可能な社会の実現に向けて貢献していきたい」と抱負を述べてまとめました。

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 座長を務めた中村丁次委員長から、「アジアの栄養改善に向けて、日本の管理栄養士・栄養士ができることは何があると考えられるか?」との問いが挙がり、清野氏は「日本の栄養政策は母子栄養とプライマリ・ヘルス・ケアを中心に進めてきました。この基礎が日本の強みだと考えられるので、このACDのような国際的な会議の場や各国の栄養士たちに、日本の管理栄養士・栄養士それぞれの知見を広めてもらえればと思います」と述べました。
 また、「日本に限らずアジア各国には食塩の過剰摂取の栄養課題があり、これは欧米には見られないもの。今年3月には、厚生労働省で産官学連携での『健康的で持続可能な食環境戦略イニシアチブ」を立ち上げ、減塩の推進などの栄養面の視点を軸として活動を始めたところなので、このイニシアチブで誰一人取り残さない食環境づくりの日本モデルを作り、アジア、そして世界に提案していきましょう」と、会場の管理栄養士・栄養士に呼びかけて、講演を締めくくりました。

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