【特別鼎談】わが国の栄養の歩みとグローバル・ヘルスにおける管理栄養士・栄養士の役割
2020/01/15
2020年が始まりました。「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」、「東京栄養サミット2020」が日本で開催される記念すべき年です。そして、2015年に国連サミットで採択された国際目標「持続可能な開発目標」(以下、SDGs)の期限である2030年まで残り10年となります。この節目の年を迎えるにあたり、厚生労働省 鈴木康裕医務技監と慶應義塾大学病院臨床研究推進センター教授で本会顧問である三浦公嗣先生、(公社)日本栄養士会 中村丁次代表理事会長との特別鼎談の場を設け、これまでの日本の栄養の歩みや現代の栄養課題を振り返りつつ、グローバル・ヘルスにおける管理栄養士・栄養士の役割について話を進めていただきました。(文中以下、敬称略)
厚生労働省医務技監 鈴木康裕(写真中央)
慶應義塾大学病院臨床研究推進センター教授・(公社)日本栄養士会顧問 三浦公嗣(写真右)
(公社)日本栄養士会代表理事会長 中村丁次(写真左)
日本の栄養政策 過去から未来へ
三浦(以下、座長):(公社)日本栄養士会(以下、日本栄養士会)の顧問をしております、慶應義塾大学の三浦です。本日は座長を務めさせていただきます。
では、最初の話題としまして、今までのわが国の栄養政策を振り返りたいと思います。まず、鈴木医務技監は医師でいらっしゃいますが、公衆衛生という行政の道に入られました。鈴木医務技監が経験してこられたなかで、栄養にはどのような関わりがあったのか、栄養がもたらしてきた成果について、ご自身のお考えを述べていただけたらと思います。
鈴木:本日はお招きありがとうございます。私は外科医になろうと思っていたのですが、大学生の最後の年に2カ月間滞在した南米での経験が、臨床の医師ではなく、公衆衛生に携わろうと考えた契機となりました。アマゾン流域では原住民の方が多く、当時の平均寿命が30歳くらいでした。乳幼児の多くが感染症で亡くなってしまうからです。感染症は抗生物質で治すことはできますが、低栄養状態が続けば、治療をしても再び感染症にかかって命を落としてしまいます。治療だけではなく、生活の中で栄養状態を改善し、免疫力を上げて、感染症に対する抵抗性をつけることが重要だと痛感しました。
医療は通常、患者と医師の一対一の関係ですが、社会をもう少し広く見て、国民全体の体力を向上させたり、栄養状態をより良くしたりすることのほうが、結果として一対一の医療よりも多くの人々を救うことができるのではないかと考えました。これが、臨床から公衆衛生に転向したきっかけです。
厚生省(現 厚生労働省)に入庁し、最初に担当したのが秋田県でした。秋田県は冬、雪が多く、野菜が育ちません。そのため塩蔵しているわけですが、食塩摂取量が多くなり、脳卒中で亡くなる方が多くいました。私が在籍していた研究所の先生方は、地域に入って減塩のみそ汁の作り方を教えたりしていて、まさに、こうした地道な活動が非常に大事なことだと思いました。
座長:地域の中でさまざまな公衆衛生活動をするときに、栄養という分野は欠かせない要素だと思います。中村会長、栄養の取り組みというのを歴史的に見ると、どのような特徴があるのでしょうか。
中村:栄養学18 世紀のヨーロッパで始まるのですが、それは食べ物をとることによって人は生きていることを科学的に解明しようという流れの中で始まりました。その科学を実践活動に応用して、人びとを健康にし、病気の予防をしたり治療に貢献させるという概念に至り、世界で初めて専門職として栄養士が誕生したのがアメリカです。1917 年のことでした。日本の佐伯矩という医師がアメリカに留学して栄養士という専門職を日本に持ち込み、その後、日本で初めて栄養士の養成学校をつくりました。1926 年には15 人の栄養士が輩出されました。そして、1947 年に栄養士法が制定されたのです。
ここが重要なポイントです。多くの国が戦後の栄養失調を改善させるために栄養の政策を始めていった中で、わが国は戦前から取り組んでいたのです。戦前は食料不足の中、どのように丈夫な国民を育てていくかが中心的課題でした。そして、戦後は急激な食糧不足から、アメリカからの支援もあって、低栄養に対する栄養改善運動が起こります。これは国策として力を入れたと聞いています。栄養士という資格を作り、栄養改善法という法律まで作って、栄養の専門職が栄養改善への働きかけをした国は、実はあまりないのです。
欧米での栄養改善運動はボランティアが中心で、意識が高い人たちが市民に教育をしてきました。わが国は、国策として実行したこともあり、戦後10 年ほどで低栄養問題を解決しました。しかし、その後、高度経済成長で食生活が豊かになると、今度は過栄養の問題に直面し、生活習慣病や肥満が増えていきますが、わが国は古くから栄養政策を全国的に実施していたことで、食事が欧米化してきても大きな影響を受けることはありませんでした。現在でも肥満や心臓病の発症率は欧米に比べて少ないのです。
したがって、日本の栄養の歴史は、低栄養と過剰栄養の両方の問題を何とか解決してきたと言えます。完全に解決できているわけではありませんが、ある成果を上げてきたという事実は、世界に誇れる栄養の歴史を持っていると言えるのではないでしょうか。
座長:お話があったように、わが国の栄養政策は非常に早い時期に始まっており、今も厚生労働省では連綿と伝統を守りつつ、新しい課題に取り組んでいることと思います。鈴木医務技監は、政策面から見てどのような特徴があると認識しておられますか。
鈴木:私は2 つのことが、栄養の大切さを国民に印象付けたと思っています。1 つは大変古い話ですが、日清・日露戦争で脚気が流行した際の、その対策です。海軍と陸軍で対応が異なり、海軍は麦飯にすることで栄養を強化しました。一方の陸軍は細菌が原因と考えて対応しましたが、脚気による死者を減らすことができませんでした。これにより、栄養が当時の兵隊の死亡に関与しているということが認識されました。
もう1 つは、1965 年に始まった日米共同の観察研究でNI-HON-SAN Study と呼ばれるものですが、日本( NI )在住の日本人、ホノルル( HON )在住の日系人、サンフランシスコ( SAN )在住の日系人における心血管疾患に関するコホート研究です。簡単に言えば、同じ日本人で遺伝的な要因は変わらないのに、生活習慣が欧米化していることで心臓病が多いという結果でした。
中村会長がおっしゃったように、社会の変化と栄養の政策は密接に結び付いていて、戦前の富国強兵の時代、戦後の食糧難と栄養不足、そして高度経済成長期からの過栄養、超高齢社会となった現在は高齢者の低栄養やフレイルの問題が起きています。さらに最近では、国民全体というよりは特定的な、拒食症や若い女性のやせ等一部の人が非常に深刻な状況になっているという問題もあり、今までとは違った課題に面していると感じています。
栄養・健康分野におけるSDGs
座長:2016 年から2030 年に向けてスタートしている「持続可能な開発目標」ですが、国際的な課題として栄養あるいは健康分野にはどのようなものが挙げられるのか、鈴木医務技監から教えていただけますでしょうか。
鈴木:SDGs は17 の目標がありますが、栄養が直接関係するのは2「飢餓をゼロに」と3「すべての人に健康と福祉を」です。しかし、おそらく17 のすべてに栄養が関与していると言えます。栄養が根底になければ、教育にしても働きがいにしても成り立ちません。SDGs 全てを達成するために、栄養は非常に重要だと考えています。
座長:この分野で日本栄養士会として取り組んでいることはありますか。
中村:管理栄養士・栄養士の国際組織に、国際栄養士連盟(International Confederation of Dietetic Associations;ICDA)があります。ICDA の中でも栄養がSDGsにどう貢献していくか、管理栄養士・栄養士がどのように取り組んでいくかという議論が始まっています。 2019 年1 月にイギリスの医学誌『Lancet』に掲載された論文「Food in the Anthropocene: the EAT-Lancet Commissionon healthy diets from sustainable food systems」では、欧米の学者が集まり、地球環境に負荷を与えない健康な食事とはどのようなものかを提言しています。私はその内容が自然と対立せず、食文化を大切にしながらエビデンスをもとに栄養改善を行った日本食の概念に近いのではないかと考えています。
座長:この点をもう少し深堀りしますと、ただ単に日本の食事が良いということだけでなく、行政や臨床の医師、そして言うまでもなく管理栄養士・栄養士が総ぐるみで取り組んできた結果ではないかと思います。 私たちの日々の食事には、和食だけでなく洋食や中華もあり、さまざまな料理を食べているわけですが、その中でどのような食事が望ましいのかということを厚生労働省が適時適切に情報提供してきたことも成果の1つに挙げられます。これまでお話してきた公衆栄養の取り組みと和食のすばらしさを合体させて、諸外国に宣伝、喧伝していくのが望ましいと考えます。
中村:三浦先生がおっしゃったことは重要なポイントだと思います。欧米の栄養士が率先して取り組んできたことは、主として病者用の臨床栄養です。したがって、欧米の栄養士というのは一般に病院の栄養士を指しています。
一方で、日本は戦前戦後の食糧難と栄養不足を解決 するための専門職として栄養士が活躍しました。そして現在では救命救急の栄養管理にまで進出しましたが、スタートは公衆栄養でした。わが国の管理栄養士・栄養士は4 年制の養成校を卒業した人、短大や栄養専門学校を卒業した2 年制の教育を受けた人とさまざまで、知識の深さや経験に個人差があります。しかし、これまで数多くの管理栄養士・栄養士を全国の隅々にまで配置して、公衆衛生を担ってきたので、これからアジアやアフリカに貢献していく際には、日本の経験が良いモデルになると考えます。
鈴木:おっしゃる通りですね。
中村:5 年前にベトナムのハノイ医科大学で、日本の管理栄養士養成カリキュラムをベースにした教育をスタートさせました。ベトナムには、以前は栄養の専門職が存在しなかったのです。 現在、2 期生まで卒業しています。栄養の専門職を配置して、ベトナム国民の健康状態を上 げていく取り組みができたので、他の国にも展開できないかと考えています。
鈴木:公衆栄養の分野で管理栄養士・栄養士の皆さんの非常に大きなネットワークがあること、かつ国レベルでも国民健康・栄養調査を実施して食事摂取基準等をつくり、これらに基づく取り組みを現場で実施しているということ。栄養の分野ではこの2 つが完成されているところが、わが国のすばらしい点ですね。これはアジアだけでなくアフリカの諸国においても参考になると思います。
■JAPAN SDGs Action Platformを詳しく見る(外務省)
■国際栄養士連盟(ICDA)のホームページを見る
東京栄養サミット2020に向けて
座長:本日の最後の話題として、今年の12 月に日本で開催が予定されている「東京栄養サミット(以下、栄養サミット)を取り上げたいと思います。今までのお話も栄養サミットに関わってくる内容だと思うのですが、いかがでしょうか。
鈴木:そうですね。栄養サミットでは全世界のポリティカルリーダーの目を集めて、栄養の大切さを訴えていくことができます。先ほどから話題に出てきていますが、栄養不足の状態から、管理栄養士・栄養士制度の創設、国民健康・栄養調査の仕組み、学校給食の展開等、一連の取り組み、世界に広めるチャンスだと捉えています。日本のこの優れた特徴を結実させるにも、とても良い機会だと思います。
座長:日本栄養士会としても栄養サミットに期待するところは大きいと思います。栄養サミット開催を受けて、どのような取り組みを考えておられるのか、お聞かせください。
中村:栄養サミットでは、日本の栄養政策や管理栄養士・栄養士のこれまでの経験をベースに、その特徴を整理して"Japan Nutrition"として発信したいと考えています。「私たちの国も栄養士をつくりたい。どうしたらいいのか」というような問い合わせや支援の依頼がすでにあります。各国の要求に敏速に応えられるように、当会も全面的に協力しますので、その窓口となる組織を国にもつ くっていただけたらと思います。
座長:海外の諸国に向けた栄養の司令塔のようなものが、厚生労働省の中にあると理想ですね。
鈴木:厚生労働省の中には技術系の専門職として医師、歯科医師、薬剤師等がいますが、管理栄養士のグループも非常に重要で、彼らが司令塔的役割として国内においてももう一歩前に出たほうがよいと考えています。海外向けについては、病院を1 つ建てるというような短期的なものではなく、長期的な、地道な支援になると思います。ぜひ日本栄養士会にも協力していただけたらと思います。
座長:栄養サミットの後も、国際的な活動が予定されていると伺いました。
中村:2021年9月には国際栄養学会議(ICN)が東京で開催されます。また、2022 年8月にはアジア栄養士会議組織委員会と当会による共催で第8 回アジア栄養士会議(ACD2022)を横浜で開催します。2020 年からの3 年間で、日本国内で栄養に関する国際会議の開催が続きますので、早急に"Japan Nutrition"を発信して、誰一人として取り残すことなく健康で幸せな生活ができる持続可能な社会づくりに貢献したいと考えています。
座長:最後に鈴木医務技監から管理栄養士・栄養士に期待することをメッセージとしていただけたらと思います。
鈴木:わが国は世界トップクラスの健康寿命を達成しているわけですが、管理栄養士・栄養士の皆さんによる全国津々浦々に至るネットワークで公衆栄養を実践し、支えてきてくださった賜物だと思っています。率直にお礼を申し上げたいと思います。
冒頭にもあったように、時代に応じて栄養の問題が変わってきていますが、フレイルや妊娠期など国内の栄養の問題と同時に、国際的な栄養課題にも目を向けていただいて、日本の管理栄養士・栄養士が世界に羽ばたいていくことを期待しています。それが世界に、より良い結果を生み出していくと信じています。
座長:鈴木医務技監、本日は貴重なお話をいただきましてありがとうございました。医師であり公衆衛生の専門家である鈴木医務技監から、栄養の問題と管理栄養士・栄養士の役割について力強く語っていただけたことは、日本栄養士会会員にとっても大きな励みになることと思います。これから栄養サミットに向けて、厚生労働省を中心にさまざまな準備が行われていくと思いますが、日本栄養士会も連携をして、より良い会合となることを期待しています。
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この対談の模様は「日本栄養士会雑誌」第63巻1号で掲載しました。
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