「ジャパン・ニュートリション」を世界へ(後編)
2021/04/20
公益社団法人日本栄養士会代表理事会長 中村丁次
明治時代から続く、日本独特の栄養改善
日本は、自然を尊重する伝統的な食文化を継承しながら、明治以降、栄養学を導入し、栄養密度の高い食品や料理を取り入れることにより、栄養不良を解決し、健康長寿の近代国家を形成した。いわば、「文化と科学」を融合させた、日本独特の栄養改善を成功させたのである。このことを総称して「日本の栄養:ジャパン・ニュートリション」と呼ぶことにした(表1)1)。
SDGsと栄養
世界の栄養問題は、大きな転換期にある。2013年6月、英国(ロンドン)で開催された「成長のための栄養:ビジネスと科学を通じた飢餓との闘い」は、その象徴的な会議であった。会議に寄せられた各国のコミットメントをもとに、国際食糧政策研究所(the International Food Policy Research Institute;IFPRI)は『2014年世界栄養報告(Global Nutrition Report;GNR)』を出版した2)。報告書には、栄養が単に健康問題のみならず、多領域における種々の課題に関係していることが明記され、序文には、栄養改善の「理念」として、「良好な栄養状態が人間の幸福の基盤となる」 と記された(表2)。
2015年9月、ニューヨークの国連本部において、「国連持続可能な開発サミット」が開催され、「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ:SDGs(Sustainable Development Goals;持続可能な開発目標)」が採択された。持続可能な開発とは、「全ての人々に機会を与え、不平等をなくして生活水準を向上させ、公平な社会の開発と包摂を促し、天然資源と生態系の総合的で持続可能な管理を促進することで、持続可能、包摂的、公平な経済成長を推進すること」と定義されている。
SDGsの特徴は、複数の領域の課題を1枚の図に示したことである。つまり、ある領域の課題は、他の領域にも影響を与え、これらの課題に総合的かつ包括的に取り組むことが、それぞれの課題を解決するために必要だと言っている。この中で、栄養は、それぞれの目標を達成する下支えをする役割を担っている。たとえば、栄養不良は、飢餓はもちろん、貧困、保健、医療、さらに福祉に悪影響を与え、これら以外にも教育、労働、経済、ジェンダー、差別、気候変動、さらに環境にも間接的に関係している。
しかし、『世界栄養報告2018(Global Nutrition Report2018)』は、残念な報告をしている3)。「栄養不良が、あらゆる領域で人類の発展を阻害し、重要な問題であることを多くの人びとが認識し、国連も『栄養のための行動の10年(2016〜2025年)』や『SDGs』を示し、世界的・国家的対策が勢いを増しつつある。今は、栄養不良に終止符を打つ絶好の機会でありながら、その実態は許容しがたいほど悪く、改善の進展も進んでいない」と分析しているからである。
世界の子どもの22.2%(1億5080万人)が発育不良にあり、衰弱した子どもが7.5%(5050万人)いる一方で、過体重の子どもは5.6%(3830万人)存在する。しかし、この報告書は、現状が悲惨な状況でありながら「東京栄養サミット2021」に期待を寄せ、国際社会が栄養不良に終止符を打つ絶好のチャンスであると結んでいる。その理由は、わが国が、戦前、戦後の低栄養と高度経済成長後の過栄養の二重負荷に対して、真正面から取り組み、これらを解決して長寿国家をつくり上げた経験を有しているからである。「東京栄養サミット2021」は、日本の栄養の取り組みを世界の人びとに発信する絶好の機会である。
新型コロナウイルス感染症と栄養
今回のサミットでは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する、各国の対応も重要な課題になる。日本栄養士会は、2020年4月3日に世界に先駆けて、免疫能の維持には、多くの栄養素が関与しているため、日常生活が制限される中での健康な食事の必要性を発信し、緊急時への対応を日常的に行っているとともに国際栄養士連盟(International Confederation of Dietetic Association;ICDA)を介して、世界に伝えた(図1)。
なお、COVID-19に関しては、低栄養が発症のリスクになるとともに、過栄養に伴う肥満が増悪化に影響している。内臓脂肪が多い人では、抗炎症性のアディポネクチンの産生が減少して脂肪組織の慢性炎症が起こり、感染すると免疫機能が暴走するサイトカインストームにより病状が増悪化するからである。Belangerら4)は、COVID-19の増悪化に肥満が関与し、肥満は糖尿病等の慢性疾患のリスクになり、これらの疾患が増悪化の誘因となることを示し、結局、COVID-19の予防や増悪化防止には健康な食事へのアクセスが重要であると述べている。
「緑の復興(グリーンリカバリー)」とこれからの栄養
国際エネルギー機関(International Energy Agency;IEA)は、COVID-19による都市封鎖や渡航規制により、世界の温室効果ガス排出量は、著しく減少したことを報告した。皮肉にも、COVID-19は、地球環境への負荷を軽減したのである。2020年4月、EU各国の環境大臣を中心に、コロナからの復興計画として「緑の復興(グリーンリカバリー)」を提唱した。グリーンリカバリーとは、COVID-19後の復興を、環境負荷の原因となる温室効果ガスの排出を抑制しながら、経済を発展させようとする計画である。グリーンリカバリー計画の中で、栄養はどうあるべきか? サミットに向けてすでに議論が始まっている。
国連食糧農業機関(Food and Agriculture Organization of the United Nations;FAO)の報告書『Livestock's Long Shadow(家畜が落とす長い影)』によれば、温室効果ガス排出量は、輸送手段から13.5%、畜産業からは 18%となり、特に肉食による環境負荷が大きいことを示した5)。家畜のえさや糞尿、さらにゲップにより排出量ガスが増大するのである。2019年1月、医学雑誌『Lancet』は、「人新世(ひとしんせい)の食糧:持続可能の食糧システムによる健康な食事に関するEAT-ランセット委員会」を発表し、肉類の消費を1日に14gにすべきだとした6)。この理念をもとに提唱されているのが「The Planetary Health Diet」であり、その内容は、プレートの半分が、果物、野菜、ナッツで、 残りの半分は、全粒穀物、植物性たんぱく質、不飽和植物油、適度な量の肉と乳製品、および砂糖とでん粉質野菜で構成されている。WHOも、「持続可能な健康な食事」の指針として、「健康上の面」、「環境への影響」、「社会的文化的側面」からなる16項目を提案した7)。菅義偉内閣総理大臣も所信表明の中で「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」と表明した。
2019年2月、日本の公益財団法人国立地球環境戦略研究機関等は「1.5-Degree Lifestyles:Targets and Options for Reducing Lifestyle Carbon Footprints」を発表した。日本人が平均的な生活で排出する1年間の温室効果ガス総量は、1人当たり7.6トン。そのうち、電気等の住居関連が2.4トン、自動車等の移動が1.6トン、そして食事が1.4トンである8)。食事の中で、肉類と乳・乳製品を合わせた畜産由来の排出量は0.5トンになり、この値は、日本人が生活全般で排出する量の6.6%となる。この値はFAOが発表した世界の平均値14.5%9)の半分以下となる(図2)。
つまり、日本人の肉類、牛乳、乳製品等の家畜類の消費量は、本来少ないので、欧米のようにこれらを極端に制限する必要はないと考えている。EAT-ランセット委員会は、先進20カ国の食事を環境負荷の観点から分析した結果、日本人の場合、現在の食事も、食生活指針で示されている内容も、理想とするThe Planetary Healthy Dietと変わらないことを報告している(図3)11)。
世界に「ジャパン・ニュートリション」を
栄養不良を解決しない限り、SDGsの達成は不可能である。そのためには、環境負荷が少なく持続可能な健康な食事を世界が目指さなければならない。栄養学は進歩し、栄養改善により栄養不良を撲滅する多種多様な方法が提案さ れている。しかし、世界は、いまだに深刻な栄養不良の二重負荷から解放されない。「ジャパン・ニュートリション」が、 世界の人びとの幸せに貢献できることを切に願っている。
文 献
1)中村丁次:臨床栄養学者 中村丁次が紐解くジャパン・ニュートリション, p.209(2020)第一出版,東京
2) International Food Policy Research Institute:Global Nutrition Report2014,https://globalnutritionreport.org/reports/2014- global-nutrition-report/(2021年3月12日)
3) Inter-national Food Policy Research Institute:Global Nutrition, Report2018,https://globalnutritionreport.org/reports/global-nutrition-report-2018/(2021年3月12日)
4) M J. Belanger Michael A Hill,Angeliki M Angelidi, et al.:Covid-19 and Disparities in Nutrition and Obesity,The New England Journal of Medicine, 383, e69(1)-(3)(2020)
5) Food and Agriculture Organization of the United Nations: Livestockʼs Long Shadow environmental issues and options, http://www.fao.org/3/a0701e/a0701e.pdf(2021年3月12日)
6) Walter Willett et al,:Food in the Anthropocene:the EAT-Lancet Commission on healthy diets from sustainable food systems, Lancet,393,447-492, Published online January 16(2019)
7) Food and Agriculture Organization of the United Nations:World Health Organizataon:Sustainable Healthy Diets Guiding: Principles, http://www.fao.org/3/ca6640en/ca6640en.pdf(2021 年3月12日)
8) Lewis Akenji, Michael Lettenmeier, Ryu Koide, et al.:1.5 -Degree Lifestyles:Targets and Options for Reducing Lifestyle CarbonFootprints,(2019)Institute for Global Environmental Strategies, Aalto University, and D-mat ltd.,Japan
9) Gerber.P.J,Steinfeld.h,et ai:Tackling Climate Change ThroughLivestock-A global assessment of emissions and mitigation opportunities,(2013)FAO,Rome
10) Lewis Akenji, Michael Lettenmeier, Ryu Koide,et al:1.5 ℃ライフス タイル―脱炭素型の暮らしを実現する選択肢―(日本語要約版), https://www.iges.or.jp/jp/publication_documents/pub/technicalreport/jp/10464/1_5_report_A4_FINAL_REPORT
_j_web.pdf(2021年3 月12日)
11) EAT:Diets for a Better Future:Rebooting and Reimagining Healthy and Sustainable Food Systems in the G20, https://eatforum.org/content/uploads/2020/07/Diets-for-a-Better-Future_G20_National-Dietary-Guidelines.pdf(2021年3月12日)
プロフィール:
1972年徳島大学医学部栄養学科卒業、1975年より聖マリアンナ医科大学病院にて管理栄養士として勤務し、2007年より神奈川県立保健福祉大学にて研究、教育に従事する。この間、栄養の深さと広さ、さらに無限の可能性を知り、その魅力に取りつかれている。神奈川県立保健福祉大学学長。
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