「あったらいいな」を次々にプロデュース
調理科学から暮らしやすい社会に貢献
2016/11/08
トップランナーたちの仕事の中身#006
伊藤正江さん(至学館大学健康科学部栄養科学科准教授)
世界的なアスリートを輩出するなど、スポーツ分野で有名な至学館大学で、栄養科学科の准教授として教壇に立つ伊藤正江さん。学生への講義、実習、ゼミ、研究に加え、他大学や市民講座でも教えています。
あるものでできる、今のニーズに合った調理法
取材で訪れた日の夕方、伊藤ゼミの4年生が大豆粉と不活性大豆粉、おから粉を使った低糖質のパン作りの研究に没頭していました。伊藤さんの専門は調理科学。「私の研究のモットーは、世の中にあったらいいなと思うもの・方法を作り出すこと。便利な調理器具や調理済み食品は次々と開発されますが、一般の人がすでに持っているものの中で工夫をして、今の生活に合った、より簡便な調理法を生み出すことに意義を感じています」と伊藤さんは話します。
これまでさまざまな研究を重ねて論文を執筆してきました。論文のテーマは、共働き世代のためのスピード炊飯調理法や、高齢者のための危険の少ない揚げもの風調理法を生み出すなど、どれも時代のニーズに即した研究ばかりです。炊飯の研究では、米に水を浸漬させると約30分かかりますが、吸水の速い熱湯浸漬では、水浸漬30分の浸漬量に何分で到達できるかを実験。墨汁や黒インクを含んだ水で米に吸水させて断面を比較したり、吸水時間を変えて何度も炊飯をしたりした結果、米に浸漬する水を熱湯にすることで浸漬に必要な約20~30分の時間を3分に短縮可能であると証明しました。
「炊飯器を最新にする必要もなく、米に細工をするわけでもなく、すでにある炊飯器と米だけでできる可能性を追究していくこと。ここに研究の喜びを感じています」
整理整頓された調理実習室で。授業や研究で1日の多くの時間をここで過ごします。
「いま与えられている職務を一生懸命にこなしていると、おのずと道が開けるんです」
伊藤さんが管理栄養士の道を選んだのは、子どものころからパンやお菓子作りが好きだったこと。椙山女学園大学大学院で食物学を専攻したのち、中京女子大学(現・至学館大学)で、非常勤で調理実習の助手の仕事を始めます。その一方で、愛知医科大学大学院で生化学の研究生となり、さらに並行して医療法人聖会石川病院で週2日栄養指導を担当していました。「管理栄養士になりたての頃は研究職や教員になることに一途だったわけではなく、大学院での実験も好きで、病院での患者さんの支援もやりがいがあって、調理の仕事での助手も楽しくやらせて頂いていました」と語る伊藤さん。管理栄養士として幅広い経験を身につけてきました。
産休の先生の代替で2か月間だけ短大で非常勤講師の機会を得たのちに、「この先、もう研究職や教員の仕事をすることはなさそう」と思っていたところ、中京女子大学短期大学部で調理実習と講義の非常勤講師の話が舞い込みます。その後、常勤講師となり、現在の准教授へと進んできました。
「研究職はこの先にポストがあるのか不安にかられることがよくありますが、いま与えられている職務を一生懸命にこなしていると、おのずと道が開けるんですね。研究職や教員を目指す方は、目の前のことに集中してください。その姿をどこかで誰かが見てくださっていますから」
やわらかい物腰でそう語る伊藤さん。研究職、教育職としてもっとも大事にしている行動を尋ねると、「早め早めに行動する」とのこと。授業の準備も早めに、講演の資料作りも早めに仕上げ、当日に何があっても万全にできる体制を整えているのだそうです。「準備に時間をかけて、私が準備したものを学生たちにできるだけたくさん持ち帰っていただきたいと思っているのです」
学生との"知の共有"が新たな研究の世界を創る
伊藤ゼミに所属する4年生と。全員が卒業に向けて、研究に打ち込んでいます。
伊藤ゼミの4年生は現在8名が在籍。ゼミ生に伊藤先生の印象を尋ねると、「やさしい」、「やってみたい研究を否定しないで自由にやらせてくれる」、「いつも応援してくれる」と話していました。「学生とは"知の共有"ができることが醍醐味ですね。学生の斬新な感性と私の経験や考えを組み合わせて、新たなことに挑戦できます」と伊藤さん。学生たちと共に過ごすのは一時期ですが、社会に羽ばたいたあとに卒業生と再会するのが伊藤さんは何よりうれしいのだそうです。「だいたいは、もっとここで勉強しておけばよかった~って卒業生は言いますね(笑)。伊藤先生のところに戻ってくるとホッとする、と。仕事の大変さを愚痴りながらも知識や技術、精神面でも成長して活躍している話を聞かせてもらうのは教員冥利に尽きますね」
大学での仕事の傍ら、至学館大学と包括協定を結んでいる大府市の「おおぶ元気創造大学」、刈谷市の「かりやヘルスアップ大学」では市民講座を担当しています。シニア世代の受講生がほとんどで、健康意識が高く、質問もたくさん上がります。講座では、大学での研究結果を活かし、手軽においしくできる調理法を伝えると、「さっそく明日から試してみます!」とすぐに行動されることがシニア受講生の特徴だそうです。
かりやヘルスアップ大学では、健康づくりのための食事の工夫を教えています。
伊藤さんが現在、力を入れてきた研究が「ビン調理」。お粥や煮物のほか、茶碗蒸しや麻婆豆腐など、材料をビンに入れていくつかのビンを鍋で加熱することで、ご飯とおかずを少量ずつ同時に作ることができます。
「ビン調理は使用する調味料が少量で済み、焦げる心配もなく、やわらかく仕上がるところが特長です。今後は栄養ケア・ステーションと連携し、在宅介護の現場に普及していきたいと考えています」
常に料理を作る人の簡便さを第一に考えて研究を続けている伊藤さん。「幸せの介護食レシピ100」(NPO法人Let's食の絆著、旭屋出版)などの著書もあり、多くの人に研究成果を伝えています。これからも時代を先取りした調理法を考案し、調理科学から暮らしやすい社会に貢献していきます。
プロフィール:
椙山女学園大学大学院家政学研究科食物学専攻修了。愛知医科大学大学院(生化学)にて医学博士号取得。中京女子大学(現・至学館大学)非常勤講師、常勤講師を経て、現職。東海学園大学にて非常勤講師、大府市「おおぶ元気創造大学」、刈谷市「かりやヘルスアップ大学」で市民講座を担当。医療法人聖会石川病院にて非常勤での栄養指導も担当している。NPO法人Let's食の絆理事。