高齢化率46%の地域で、最期まで「食べたい」、「食べてもらいたい」を叶えていく
2023/06/09
トップランナーたちの仕事の中身#072
日比野一輝さん(国民健康保険飛騨市民病院 第Ⅱ診療部栄養科 、管理栄養士)
「最期まで食事を楽しみたい」、「好きだったものを最期に食べてもらいたい」。超高齢社会において、摂食嚥下障害を持つ患者や家族がそう願うことは少なくありません。岐阜県飛騨市神岡地区にある飛騨市民病院において、患者や家族の希望を叶えるべく奮闘しているのが日比野一輝さんです。
現在、「超高齢社会」と呼ばれて久しい日本全体の高齢化率は29.1%(※1)ですが、飛騨市の高齢化率は40.21%(※2)と10ポイント以上も上回ります。さらに、病院がある神岡地区の高齢化率は、46.71%(※2)にも上ります。病院の近隣で暮らす人々の半数近くが65歳以上の地域なのです。この飛騨市民病院で、医師、看護師、薬剤師、理学療法士、作業療法士、歯科衛生士とともにNST(Nutrition Support Team:栄養サポートチーム)を組み、日比野さんは活動しています。
※1 総務省発表:2022年9月18日
※2 飛騨市発表:2023年4月17日
食べたい、食べさせたいに寄り添うNSTの取り組み
このチームを中心に同院で力を注いでいるのが、「完全側臥位(そくがい)法」による食事の摂取です。患者さんが病気の後遺症や加齢によって飲み込む機能(嚥下機能)が弱ってきても、誤嚥をすることなく、安全に食事を飲み込みやすくする方法の一つで、横になった状態で口から食べるのです。この方法は、医師の福村直毅氏(現、健和会病院総合リハビリセンター長)が考案して2012年に報告したもので、横になったまま(側臥位)だと喉(下咽頭)の側壁に水分や食塊を一時的に溜めておけるため、重力の影響を受けることがなく、誤嚥の危険性が少なくできるというものです。飛騨市民病院では2014年ごろから工藤浩医師を中心に取り組み始め、同院のNSTは、福村医師の手技を見学に行ったり、講演を依頼したりすることで、統一した認識と手技が獲得できるようにしてきました。
「当院は、超高齢地域で入院患者さんの平均年齢は82.9歳(2022年8月時点 )と高く、嚥下機能が低下した患者さんは少なくありません。NSTでVE(嚥下内視鏡検査)の結果をみて患者さん一人ひとりに合わせた食形態やとろみ状態を用意するのはもちろんのこと、患者さんとご家族の最後まで食べたい、食べさせたいという気持ちに寄り添うために、完全側臥位法の普及に取り組んでいます」
「横向きで寝たまま食べたり飲んだりするなんて行儀が悪いと思われるかもしれませんが、赤ちゃんが哺乳をするときは実は側臥位なんです」と、日比野さんは説明します。
コロナ禍以前には、近隣の高齢者施設などに工藤医師や日比野さんたちが出向き、施設のスタッフに完全側臥位法を体験してもらい、患者さんが同院を退院した後も近隣施設で完全側臥位法での食事が引き続き実施できるような流れを確立してきました。
「完全側臥位法を全国に広め、嚥下障害で苦しむ患者さんや家族の希望を叶えたい」との思いから、日比野さんは学会発表や雑誌への投稿を続けています。2018年には、日比野さんが発表者として登壇した第23回岐阜県国保地域医療学会で「完全側臥位法による肺炎死亡率減少への挑戦」の演題が優秀賞を受賞しています。
教わった「側臥位に始まり、側臥位に終わる」が仕事の根本に
同院では、「嚥下精査・強化リハビリ入院 始めました‼︎」の大きな文字に、「最近よくむせるようになった、喀痰が増えてきた、誤嚥性肺炎を繰り返すー上記のような嚥下障害でお困りの方がおられましたら、お気軽にご相談ください」と書かれたポスターが、病院の玄関や待合室に貼られています。
これを見たある家族が「うちの母も入院させたい」と希望して、ほかの病院から転院してきたケースがあります。その80歳代の女性は誤嚥性肺炎を発症して他院に入院していました。認知症もあり意思の疎通が難しいこともあって、その病院では「口から食べるのは難しい」と判断されていました。家族は「また口から食べられるようになってほしい」と願っており、このポスターを見て、飛騨市民病院への転院を希望したのです。
同院では「嚥下精査・強化リハビリ入院」として2週間のプログラム(クリニカルパス)を用意しています。この女性には、まずNSTでVEを元に、嚥下評価を実施しました。女性の嚥下機能は概ね保たれていることがわかったものの認知症によって覚醒状態にムラがあることから、NSTのそれぞれの専門職の強みを発揮して、栄養療法と薬物療法、そしてリハビリテーションをかけ合わせて治療をしていきました。その結果、女性は入院から約2週間で、口から食べられる状態にまで回復して、自宅に戻ることができました。
高齢者に限らず、難病の患者さんでも完全側臥位法で食べることを諦めずにいられた例があります。筋繊維が壊れて徐々に筋力が低下していく筋硬直性ジストロフィーを抱えた50歳代の男性です。口からの摂取だけでは必要な栄養量が足りないことから、胃ろうを造設していました。通常はペースト状にした食事を提供していましたが、ある日、日比野さんが「何か食べたいものはありますか?」と尋ねると、スナック菓子のフライ麺との返事。硬く細かい形状のものをどう食べていただくか、NSTで検討しました。
その後、家族にそのスナック菓子を購入してきてもらい、男性が横になった完全側臥位の状態で安全性を確保して、少量を口に含んでもらってVEをして評価しました。すると、病気の進行で咽頭の動きは弱かったものの誤嚥をすることなく飲み込むことができました。
「現在の超高齢社会では、最後に食べたいものが食べられないまま亡くなってしまう人は少なくないでしょう。完全側臥位法で安全を確保したうえで食べることができれば、闘病中のご本人だけでなく、療養を支える家族の希望にもなりえると思います。当院の工藤医師から教わった言葉『人の一生は側臥位に始まり、側臥位に終わる』が、今の私の仕事の根本にあります」
飛騨市民病院には管理栄養士が日比野さん一人だけのため、嚥下障害や低栄養などを抱えた高齢の患者の栄養管理に携わるだけでなく、医療安全や感染対策、災害対策などの院内の委員会にも管理栄養士の立場で関わっています。
「地域医療の現場は人員が限られています。摂食嚥下リハビリテーションを専門としながらも、オールマイティーにこなせる管理栄養士をめざしています」
プロフィール:
2016年名古屋文理大学健康生活学部健康栄養学科卒業、管理栄養士および栄養教諭免許を取得。岐阜県内で学校栄養職員として勤務後、2017年より出身地である飛騨市に戻り、飛騨市民病院で管理栄養士として勤務。院内における管理栄養士業務を一手に引き受ける。2018年には第23回岐阜県国保地域医療学会において研究発表を行い、優秀賞を受賞。2019年に開催された第59回全国国保地域医療学会にて、岐阜県代表として口頭発表を行った。公益社団法人岐阜県栄養士会所属。