災害から命、健康、心を守る―自分仕様の防災食の普及を目指す
2023/10/25
トップランナーたちの仕事の中身#081
今泉マユ子さん(株式会社オフィスRM代表取締役、管理栄養士)
長年、企業や病院、保育所での栄養管理業務、食育に注力してきた今泉マユ子さん。管理栄養士の立場で防災食の重要性を伝える活動に情熱を注ぐ背景には、東日本大震災で痛感した「自分で考えること」の大切さを知ってほしいという思いがあります。今泉さんの取り組みは、防災食にとどまらず環境負荷の少ない食事作りへ広がっています。
東日本大震災で刻んだ思い
今泉マユ子さんが、防災食に取り組むきっかけとなったのは2011年3月11日に発生した東日本大震災。その日、幼稚園年長だった息子さんは卒園式を前に「お留守番してみたい」と言い、今泉さんは車で外出。やっとの思いで帰り着くと、息子さんはリビングの真ん中で座って待っていた。
「こどもには地震が起きたら危なくない部屋の真ん中にいるように教えていましたので、いいつけを守れた息子を誇らしいと思いました」
震災後、親戚にこの話をすると、「今回は家の中にいて無事だったけど、状況を自分で判断して外に逃げることも教えないとだめだ」と指摘を受けた。今泉さんは「まったくそのとおりでした。この出来事で知った『自分で考えること』と『自分の命は自分で守ること』の大切さは、防災食アドバイザーとしての根幹になっています」と振り返ります。
もう一つ、今泉さんの胸に刻まれたのは被災地への思いです。震災直後、家の事情で被災地支援に行けずに申し訳ない気持ちにかられていると、地元の自治体から防災食講座の講師の仕事が舞い込みました。「被災地に行けなくても自分にできることを精いっぱいやろう。まず防災について深く知ろう」そう心に決めた今泉さんは、これをきっかけに『知る努力』を重ねていきます。
たゆみない『知る努力』
まずは、『毎月2万円分の防災食を購入して試食する』ことから実行。いろいろなお店の防災コーナーに毎月足を運び、防災食の種類や味を知る努力をしましたが、数カ月すると「これは続けられない」と気がつきました。
「当時は今ほど防災食の種類はなく、食べ慣れた味ではないので食事がストレスになりかねません。しかも値段が高いため、家計への負担が大きすぎます。防災食が『非常用』としてしまいこまれたり、賞味期限ぎりぎりに慌てて食べて、買い足すことはしないケースが多い理由が実感できました」
並行して全国の政令指定都市7カ所や自治体等の備蓄の視察も行いました。今泉さん1人で各地の担当部署を調べて連絡を取り、趣旨を説明し、自費で各地を訪れたのです。
「協力してくださった自治体には感謝しかありませんし、どの備蓄内容も命をつなぐためになくてはならないものでした。一方、避難生活が長引いた場合に不足しがちな野菜や嗜好品等は、個人で備蓄しておく必要性がわかったことが大きな収穫でした」
これら以外にも『自身で防水リュックを背負い、水を10分間かけてもらって防水チェックをする』、『横浜市水道局の給水車を出してもらい給水容器の実験を行う』、『トイレ対策の研究(自分の尿量を1週間測る、猫砂や新聞紙で代用、おむつをしてみる、臭いの実験等)を長年続ける』等、『知る努力』は数えきれません。
「全て自費ですし、失敗もあって大変ですよ」と明るく話す今泉さん。それでも続けるには理由があります。「災害時に失敗したら命にかかわるけれど、平常時の失敗は問題点を見つけて、改善策を考えるチャンスなのです」
保育園の管理栄養士を続けながら防災食の研究を続けて数年。防災食の大切さを伝えたいという思いが膨らみ、2014年に管理栄養士として会社を起業。2014年に日本災害食学会に入り、2015年に日本栄養士会災害支援チーム(JDA-DAT)のリーダー育成研修を受講してリーダーになりました。全国各地で災害が頻発したことで防災への関心が高まったことも手伝い、全国での講演、メディア出演等防災食の大切さを精力的に伝える今につながりました。
大切なのはできないことを知ること
今泉さんが提唱する防災食は、『フェーズフリー』と『ローリングストック』に基づいている。フェーズは『日常時と非常時の区切り』、フリーは『なくす』という意味で、日常的に活用できる缶詰やレトルト食品、乾物等を防災食としても役立てるというもの。こうした食品をローリングストックすることで災害に備える方法です。
『なにを買ったらいいかわからない』という声には「『体の栄養』と『心の栄養』を満たす食品選びを」とアドバイスしています。『体の栄養』は命と健康を守るためのもの。米やパン等の炭水化物、肉や魚等のたんぱく質、ビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富な野菜、果物、海藻類をバランスよくそろえることが基本になります。そして、今泉さんが「非常時こそ必要」と声を大にするのが『心の栄養』です。
「災害時に食べ慣れないものを食べたり、普段使わない食品を調理したりするのは想像以上のストレスです。『災害が起きたら何を食べれば良い?』ではなく、『普段食べている食事をどうやったら食べることができる?』と考えて欲しい。非常時に、自分の好きなものや食べ慣れているものを食べると、ほんのひとときでも日常を取り戻せることができ、精神的に楽になります。大好きなお菓子や飲み物等を備蓄しておくのもおすすめです。『栄養バランスを考えつつ、心の栄養も忘れずに』とお話しています」
今泉さんが講演等で必ず伝えるのは「平常時にさまざまな場面を想定し、経験しておくことが非常時に命を守る行動につながる」ことだといいます。
一例として推奨しているのが『停電ごっこ』だ。「夕食時に部屋の電気を消して食事をしてみてください。『真っ暗だとこんなに見えないのか』、『しまっておいたランタンを持ってこよう』等、家族で疑似体験を通して対策を考えることが目的です。決まった時間、水道を使わないようにする『断水ごっこ』も、節水の工夫を考えるのに役立ちます」
防災食からSDGsへの広がり
災害時の温かい食事は、身も心も癒やす効果があります。そこで今泉さんは、耐熱ポリ袋に材料を入れて湯煎にする『お湯ポチャレシピ』を推奨しています。1つの鍋で複数の料理を同時に作れる上、鍋の湯は何度も使え、ポリ袋を器代わりにして節約できることから講演等でも人気のテーマとなっています。
「パッククッキングと呼ぶのが主流だと思いますが、『ジッパー付きの食品保存用袋を想像して失敗した』という声が多くあったので、私はお湯ポチャレシピと呼んでいます。私個人の活動では伝えられる人数は限られていますから、試した方は周りの人に体験談を伝えていただきたいのです。1人でも多くの人に防災食の重要さが広まっていけばこれほどうれしいことはありません」
今泉さんの『お湯ポチャレシピ』への思いは防災だけにとどまりません。世界的に環境負荷の少ない食事を目指し、誰もが幸福感を感じて自律できる世の中を目指さなければならない今、SDGsとバリアフリーの観点からも広めていこうと情熱を注いでいます。
そうした中、2021年、兵庫県立和田山特別支援学校での出前授業が実現しました。
「『お湯ポチャレシピ』でみそ汁を作りました。ポリ袋に自分の好きな具材を入れて、障害を持つ生徒さんも自分の力でやり遂げました。その自信からか、家でお手伝いをする生徒さんが増える等うれしい変化が生まれたそうです」
今泉さんは今、メーカーからの依頼で防災セット作りに取り組んでいます。「熟考した商品をそろえましたが、防災セットは購入した方の一番大事なものを入れて初めて完成するものです。非常時に自分にとって必要なもの、自分を支えてくれるものを考えることが、真の備えなのだと思います」
プロフィール:
1990年関東学院女子短期大学家政科食物栄養専攻卒業。1992年管理栄養士取得。大手企業社員食堂、病院、保育所の勤務を経て、2014年に「株式会社オフィスRM」を起業。講演、テレビ、ラジオ出演、新聞、雑誌、Webサイト等で防災食、食育、SDGsの啓発に力を入れている。公益社団法人神奈川県栄養士会、一般社団法人日本災害医学会、一般社団法人日本災害食学会、特定非営利活動法人日本防災士会所属、特定非営利活動法人岡山コーチ協会理事