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【特別対談】敏腕経営者に聞く 栄養のこれから、栄養士のこれから―ダイタンフード(株)会長 丹道夫


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 東京を中心に、首都圏の駅近くにあるそば屋「名代 富士そば」。駅を降りて、この看板を目にしたことがある管理栄養士・栄養士は多いでしょう。創業は昭和41(1966)年。テレビでもたびたび紹介されるこの人気店を経営してきたダイタンフード株式会社の丹道夫会長は、栄養士養成校を卒業して、病院勤務の経験もある栄養士です。(公社)日本栄養士会の鈴木志保子副会長が、丹会長と対談を行いました。(文中以下、敬称略)

ダイタンフード株式会社 会長 丹 道夫
聞き手:(公社)日本栄養士会 副会長 鈴木志保子

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思わぬ転機であった栄養士養成校への入学

鈴木 はじめまして。日本栄養士会で副会長をしております鈴木と申します。今回は、丹会長が栄養士ご出身ということをテレビで拝見しまして、ぜひお話をうかがいたいと思い参りました。
 はい、よろしくお願いします。
鈴木 最初に、丹会長が栄養士を目指されたきっかけを教えていただけますか?
 東京に出たかったということと、僕が入学した東京栄養食糧専門学校に寮があったことですね。学校には申し訳ないのですが、栄養にすごく興味があったわけではないんです。
鈴木 栄養士養成校に寮があったんですね!
 はい。9人の男子学生が8畳の1つの部屋で寝るようなところで、押し入れで勉強していた記憶がありますよ。僕にとっては、とてもよかったです。男子学生が栄養士の学校に入学したということで、週刊誌に取材をされたこともあります。
鈴木 へえ! 実際の授業や、栄養に関する勉強はいかがでしたか?
 学んでいるうちに、栄養はこれからの事業、商売にとても大事なものだなと思いましたね。昭和30年代でしたから、東京はもちろんのこと、日本全国が戦後はまともな食事ができない状況だったので。当時、新宿駅の西口に行ったことがあるんですが、そこから見た景色を今でも鮮明に覚えています。2、3本の木に葉がちらちらとしていたけれど、それ以外は何もなく、まさに焼け野原でした。なので、東京に出てきて寮があるということは、それだけでありがたかったのです。
鈴木 そうなんですね。それで、丹会長は栄養士の資格を取られて、栄養士としても仕事をされていたんですよね?
 東京・世田谷区にある総合病院を紹介されてね。知り合いの先生が病院の理事長と面識があって、欠員が出たから就職したらどうかって話をもらいました。それで、働くことにしました。

今だからこそ話せる、病院を辞めたきっかけ

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鈴木 テレビで丹会長が病院で働いていたというのを拝見したときに、そのまま病院の栄養士を続けてくださっていれば、私たちの栄養士の世界は今とはまた違うふうに拓けていたのではないか...と思ってしまいました。
 病院の栄養士を辞めたのは、仕事に燃えていた時期だったからね。結核病棟に運んだ食事が、患者さんにほとんど食べられないままで厨房に戻って来るんですよ。だから僕は、喫食率を調べないと、本当の栄養の量は分からないんじゃないかって、先輩の栄養士に言ったんですね。そうしたら、怒られたんです。「そんなことは、しなくていい!」と。「じゃあ、どうやって栄養分を調べるんだろう?」と、ずっと疑問に思いながら仕事をしていました。いくつかの献立を順番に回しているような感じだったしね。
鈴木 サイクルメニューですね。
 そう。季節のものを取り入れるとか、献立を新しくする研究をまったくしない職場でね。そういうことにがっかりしていたんだけど、あるとき先輩に呼ばれて、「丹君、あまり欲張って仕事をしてはいけないよ。遅れず、休まずに、安泰に勤めていればいいんだ」と言われて......。
鈴木 「このメニューは残食が多いから、このように変えましょう」とか、話し合いがなかったのですね。
 当時の栄養士は、そういう話はしてはいけなかったのかもしれないね。与えられるものだけをやればいいと言われて、僕はここには合わないなと。
鈴木 私も合わないですね(笑)。どのくらい病院で働いていらしたのですか?
 1年3カ月、いや2年3カ月だったかな。辞めたあとは、料理学校の手伝いをしました。
鈴木 病院も今ではだいぶ変わりました。食事が良くなければ、患者さんに選ばれないということもありますし、何より入院患者さんに栄養をしっかり整えることで治療効果が上がるということがデータで証明されています。温かい料理と冷たい料理が、配膳車の中で温度管理されていますし。
 へえ!そんなところまで。私が勤めていた当時も、ほかの病院の先生で「栄養の改善は大事だ」とおっしゃっている方がいましたが、やっとそういう世の中になってきたんですね。
鈴木 はい。入院患者さんの栄養状態がよくなると、在院日数といって退院までの期間を短くすることができて患者さんの回転率が上がり、病院経営にも重要だということで、栄養が注目されるようになってきました。
 なるほど、経営という点で利益を追求している結果でもあるんだね。
鈴木 そうなのですが、材料から何からすべてを下げると、よい食事にはつながらないので...。病院によって格差が出てきていますね。
 栄養が大事だという認識をさらに広めるには、これからですね。

病院のお世話にならない体づくりには栄養を

鈴木 先日、富士そばさんへ行ったのですが、メニューの選び方次第で、栄養価もいろいろ変わるなぁと感じました。そばを出すスピード感はさすがですね!
 そばにはルチンが入っているから、これからの健康食としてはとても良いと思っているんだけどね。わかってはいるんだけれど、栄養バランスが整えられるほどものは出せていない。栄養学というのは、おおむね金額と比例してしまうんだよね。矛盾する部分もあるけれど。
鈴木 そうですね。おそばだけだと、野菜が少ないのが気になりますね。
 そう。10年も20年も前から、野菜をメニューにどう入れようかと研究してはいるんだけどね。この間も、ゆでたピーマンやきゃべつ、玉ねぎを小鉢に入れてごま油を垂らして、そばのスープをかけた商品を100円で売っていたのですが、1日に20個くらい売れた店もあったけれど、その後はあまり売れなくなってしまってね。
鈴木 食べる人の意識の問題ですね。
 僕たちも本当は、野菜を食べてほしいと思っている。研究はしているけれど、どうも野菜とそばは合わないんだ。
鈴木
 そうですね。たとえば、かけそばよりは、卵が入っているほうがいいですよね。野菜がどうしても足りなければ、大胆なことを言いますが、そばを食べるとビタミン剤のサプリメントが付いてくるとか、麺の中に栄養素を練り込んでそっちの麺を選ぶと30円プラスでいただくとか、どうでしょうか? 栄養についての常識が変わってきているので、栄養士が「バランスよく食べよう」と言い続けるだけでは効果がなくて、その方に合ったやり方で栄養をとれる方法を提案しなければいけないと思っています。

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 なるほどね。テレビでは、栄養について、いろいろな専門家が出てきていろいろなことを言っているでしょう。これだけテレビでやっているんだから、栄養学や栄養を知らないという人はいないと思うのだけど。本当の栄養というのは、難しいよね。
鈴木 はい、難しいです。一人ひとり必要量や適正量が異なるので。
 そうだよね。この間タクシーの運転手さんに聞いたのだけど、街中を運転していると、内科が減ってきているらしいんだよね。患者さんの症状が複雑な割に、儲からないらしくて。だからこそ、みんなが内科のお世話にならない体にならないとね。もっともっと栄養学が進出して、薬を飲まなくてすむ体づくりを進めていかないと。
鈴木 そうなんです。管理栄養士も起業をして、病院にかかる前に管理栄養士にみてもらうという存在になれるように育成したいと考えているのですが。経営的な面から何かアドバイスをいただけないでしょうか?
 個人個人に栄養バランスの指導ができればいいよね。でも、一般の人たちは、身体のことは医者が一番よく知っていると思っているからね。皆が、管理栄養士というものをどれくらい理解しているかなんだよね。知名度が低すぎる。
鈴木
 管理栄養士で起業している人が多くなれば、「ここでも、こっちでも管理栄養士に相談できますよ」と言えるのですが...。
 健康が大事、栄養が大事ということは、ほとんどの人がわかってはいるんだけど、健康管理や栄養相談を受けるのをお金払ってまでやるかというと、それは難しい。仕事には難しい分野があって、一般になかなか届けにくいものがある。管理栄養士はどうしたらいいか、僕もすぐに答えは出ないのだけど、頑張るしかないよね。

健康な日本人を一人でも多くしよう

鈴木 起業する管理栄養士・栄養士を増やすためにも、丹会長には、ぜひ富士そばの成功の秘訣をうかがいたいのです。病院を辞められていくつかの仕事に就いたあと、不動産業もされていたんですよね?
 不動産業をやる前には、弁当屋をやっていてね。やはり食糧学校で学んだから、栄養は大事だと思っていたのもあって。不動産は当たりで、とても儲かったのだけど、これは長続きしないだろうと薄々感じていたんですよ。それで、旅行をしていたときに、駅の構内に立ち食いそば屋があって。安くて、すぐに食べられるそば屋を、駅じゃなくて東京の街中でやったらいいんじゃないかな?と思いついた。昭和40年ごろ、東京は忙しい時代だったからね。1号店を渋谷に開店したら、1日に1000食くらい売れた。それが広がって、今ここまで来たんです。成功の秘訣と言われると、東京で商売をしたこと、時代の流れにのったこと、そして、「必ず売れる」と信じてやったことの3つかな。
鈴木 店舗が増えれば、働く人たちに目が行き届かなくなりますよね?働く人たちが大切にされていないという現状もよく聞きます。その点は、丹会長はどのように?
 いいことを聞いてくれたね。僕は、幼少期の家庭の状況があまりよくなかったから、ないがしろにされるような思いは誰にもしてもらいたくないと思っていて。だから、人はみんな平等、働く人を絶対に大切にしようと思った。
鈴木 そうでしたか。会長自ら、店舗に出向いて社員さんと話したりされるのですか?
 しますよ。「仙太郎」のお饅頭を人数分買って、各店舗に持っていきます。年に2回。それで、スープをチェックしてくるんです。

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鈴木 うちの近くの店舗にいらっしゃるときは、私も顔を出したいです(笑)。ところで、時代のニーズに乗って富士そばを展開されてきたわけですが、2020年の東京大会はどのようにお考えですか? 私は大会の組織委員会の委員もしていまして。
 僕は、とても楽しみにしていますよ。リオデジャネイロにいたこともあるので、リオでうまくいったのなら、日本でも大丈夫だと思っています。
鈴木 1964年の東京開催のときは、どのように感じられましたか?
 あのおかげで、日本は自信が持てるようになったよね。日本人だってやれるんだという気持ちにあふれていた。
鈴木 そうなんですね。私は次の開催で、日本の多様性が広がるんじゃないかなと思っています。海外から来られる皆さんの食を通して宗教上の多様性や、性的少数者(LGBT)などの理解が進めばいいなと思っています。
 技術は一層大きく飛躍するでしょうね。そうしたモラル的なものの受け入れが広がるでしょう。外国人がどんどんやってきて、お友達になっていく。
鈴木 2020年には日本がどうなっているのか、より楽しみになりました。最後に、栄養士に期待されることはありますか?
 大いに期待していますよ。栄養学は、これからだと思います。僕は栄養士の資格は持っているものの、勉強は途中だったんだけど、今になって思うのは、医者や薬に頼るよりも、そこに頼る予定のお金を使って、健康な日本人を一人でも多くしたほうがいいと思っていますから。皆さんには、本当に頑張ってほしいですね。
鈴木 今日はありがとうございました。

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栄養士出身、日本を代表する経営者の一人
ダイタンフード株式会社 丹 道夫会長から管理栄養士・栄養士へ
「世の中には、人々に届きにくい職業があります。栄養もその一つでしょう。栄養学も栄養士の仕事も、これからです。頑張ってください。健康な日本人を一人でも多くする力が栄養にはありますから」

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