陸上自衛隊にスポーツ栄養学の視点を取り入れた新たな栄養管理指導態勢づくり
2019/06/03
トップランナーたちの仕事の中身♯036
上野敦子さん(防衛省陸上幕僚監部装備計画部装備計画課需品室糧食グループ防衛技官、管理栄養士)
大地震や豪雨、大雪といった災害時に派遣されて、被災者の救助や食事の提供をしている陸上自衛隊員たち。国際平和活動や訓練のテレビ報道を見ても、屈強で、正義感にあふれ、頼りがいがあるという印象は、多くの人が抱くでしょう。 その陸上自衛隊員の給食を担い、献立作成や栄養管理を任務としているのも、管理栄養士です。全国にある陸上自衛隊の駐屯地には「栄養担当官」という専門職の管理栄養士が配置されています。
管理栄養士の上野敦子さんは、大学卒業後に防衛省に入省し、茨城県にある古河駐屯地で10年間、栄養担当官として働いてきました。1995年に起きた阪神・淡路大震災等の自然災害の報道で自衛隊員が活躍する姿を見て、「自分にも何かできることがあるかもしれない!」という思いで、上野さんは陸上自衛隊を就職先に選んだのです。
隊員たちは、基本的には1日3食全て駐屯地の食堂で食べています。
「駐屯地での私は隊員たちのお母さんのような感じで、松葉づえをついている隊員を見かけたら『どうしたの?』と声をかけたり、新しい顔を見つけたら『どこの部隊ですか』と話しかけてみたり。うるさいくらいに声をかけて200~300人いる隊員たち全員の顔を覚えるようにしていました。
駐屯地での食事は、隊員たちの健康管理、健康維持として重要なだけでなく、隊員たちの士気を向上させるものとして考えられているので、食事により興味をもってもらえるような取り組みもしてきました」と、上野さんは当時を振り返ります。食堂に卓上のメモを置いたり、目を引く掲示物を貼ったり、時には、かき氷やところてん、クレープなどのイベントも食堂で開催し、自衛隊員たちにとって楽しい食事の場となるような工夫を凝らしてきました。
駐屯地での毎日の仕事の中で、上野さんは1つの疑問を感じるようになりました。陸上自衛隊の隊員には、近年は男性だけでなく女性も多くおり、年齢も15歳~50歳代までと幅広いにも関わらず、1971年に作られ2002年に改変された1つの栄養摂取基準(1日のエネルギー量は3,200kcal)しか定められていない、ということです。
隊員それぞれが取り組む訓練や業務には差があり、重量物を取り扱うような活動量が多い隊員もいれば、事務作業が中心の隊員もいます。しかし、隊員たちは全員が同額の食費のため、訓練や業務のハードさが異なっても、皆が「同じ食事、同じ量」であることに問題意識がある人はあまりいませんでした。そこに、管理栄養士資格を持つ上野さんは疑問を感じたのです。
「1人の隊員にしても、ハードな訓練が続く日と休日とでは、1日に必要な栄養量は異なるはずです。どうしたら、隊員それぞれに対応した食事が提供できるのかを考えました」そこで、上野さんが注目したのは「スポーツ栄養学」の視点です。
「アスリートは日々のトレーニングや試合に向けて、管理栄養士の指導のもと自己管理をしているケースが多くあります。地方や海外での試合に行く際にも、必ず管理栄養士が同行しているわけではありません。自衛隊員も同様で、国内での災害や他国の支援等の有事の際に、それぞれの部隊に管理栄養士がついていくことができません。自衛隊員それぞれがアスリートのように、自分の訓練内容や活動量に応じて食事を自己管理できるような仕組みを作ることが必要だと考えました」
上野さんは、公益社団法人日本栄養士会と公益財団法人日本スポーツ協会の共同認定による資格「公認スポーツ栄養士」を、2012年に取得。防衛省にいる270人ほどの管理栄養士の中で、もっとも早い時期に資格を取りました。資格取得後の上野さんは、自衛隊員たちとの会話の中に、「高強度の訓練の日と休日とでは、食事の量はこのように、食事の内容はこのように変えたらいい」とスポーツ栄養学の視点を加えるようにしました。
「スポーツ栄養をからめた話は、自衛隊員にもわかりやすかったようで好評です。スポーツ栄養学を学んだことによって、隊員たちとのコミュニケーションがより深まりました」
そんな上野さん。現在は、東京・市ヶ谷にある陸上自衛隊の中枢「陸上幕僚監部」に在籍して、7年目になりました。陸上幕僚監部に管理栄養士が配属されるようになったのは、陸上自衛隊に70年近い歴史があるなかで、わずか11年。最近のことです。それまでは全国の駐屯地に「栄養担当官」が1人ずつ配属されているだけでしたが、陸上自衛隊全体で栄養に関係する施策を考えたり、各駐屯地の管理栄養士を指導したりする「栄養専門官」というポストが新たにできたのです。陸上幕僚監部に栄養専門官はたった1人。上野さんは2代目になります。
古河駐屯地での栄養管理、給食管理の経験と学んできたスポーツ栄養学を活かし、隊員たちそれぞれの実情に適した栄養管理指導態勢を新しく作り直し、全国の駐屯地で運用したいと奮闘してきましたが、陸上自衛隊という大組織を動かすのは容易なことではありませんでした。
一部の駐屯地では、隊員の活動レベルを調査して給食に反映するという流れを試験的に実施できましたが、「部隊の活動にも隊員個人にも負担がかかる」という理由で、駐屯地によっては取り組みに反対されてしまうこともありました。陸上自衛隊でごくわずかしかいない管理栄養士たちの意見は、なかなか理解を得られるものではありませんでした。
2018年、新たな栄養管理指導態勢作りに3度目のチャンスが訪れました。上野さん自身の上司に、「隊員の個別の活動量に合わせた給食を提供するという施策は、間違ったことではない。隊員たちの精強性の向上をサポートするための施策だということをもっと前面に出して、提案してみてはどうか?」と後押しされたのです。
結果として、2019年3月、栄養専門官になって6年目にして、「中隊等における栄養管理の実施要領について」という通達を発することができました。この通達によって、陸上自衛隊員の活動状況の調査を実施して、必要栄養量を把握し、個人の特性に応じた栄養管理(タイプ別の給食の提供)と栄養教育が実施できる見通しになりました。
陸上自衛隊トップの陸上幕僚長からは、「厚生労働省等及び部外研究機関と連携し、陸上自衛隊の栄養管理状況を評価し栄養素不足等の原因を分析してその対策について指導する等陸上自衛隊における適切な栄養管理の実施に寄与した」こと、「個人の活動状況等に応じた栄養管理指導を推進し隊員の健康増進に貢献した」と、取り組んできた施策を評価され、第三級防衛功労章が授与されました。
新たな栄養管理指導の施策が本格的に始まるのは2019年度から。上野さんはこの施策をさらに展開して、「将来的には、海上自衛隊と航空自衛隊にも普及させたい」と考えています。上野さんが仕事に取り組む姿勢には、幼少期からの柔道で培った"諦めない気持ちの強さ"が表れています。その心が、陸上自衛隊員たちにしっかりと届いているのです。
プロフィール:
2003年、東京農業大学応用生物科学部栄養科学科卒業。防衛省入省。陸上自衛隊古河駐屯地に配置され、栄養担当官として栄養管理業務に従事。2012年、公認スポーツ栄養士資格取得。2013年、防衛省陸上幕僚監部に異動。栄養専門官として陸上自衛隊における栄養管理施策に従事する。