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アフリカ・マラウイでの栄養改善活動で見た、「ジャパン・ニュートリション」の可能性

トップランナーたちの仕事の中身♯052

大山達也さん(札幌保健医療大学保健医療学部栄養学科助手、管理栄養士)

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 管理栄養士・栄養士は、食と栄養を通じて人々が健やかな生活を送れるようになることを目指し、仕事に取り組んでいますが、これを世界の舞台で挑戦した人がいます。現在、札幌保健医療大学で助手を務めている大山達也さんです。
 国際栄養学の講義で、大山さんが自身の青年海外協力隊での活動経験を話すと、「管理栄養士になるための勉強は、全世界で役立つものなんですね!」と、学生たちから感動の言葉が聞こえてきます。大山さん自身も、大学生のときに国際栄養学の講義で青年海外協力隊に赴いた先生(管理栄養士)の話を聞いたことがきっかけとなり、「世界の栄養課題の解決に貢献したい」と海外へ飛び立った経緯があるため、学生たちに経験を伝えることができる場は大変貴重だと感じています。

マラウイの課題を栄養で解決する

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 2013年、大山さんは独立行政法人国際協力機構(Japan International Cooperation Agency ; JICA)の青年海外協力隊の一人として、アフリカ大陸南東部に位置するマラウイ共和国に派遣されました。大学を卒業してからの2年間は、神奈川県内の急性期病院で管理栄養士として、患者さんに提供する給食の管理や、病棟での患者さんの栄養指導・栄養管理などを担ってきました。卒後すぐにでも海外に赴任したい気持ちはあったものの、病院で管理栄養士として業務を経験することが海外でも役立つと考えて、日々の業務に取り組んでいました。
 マラウイは世界でも貧困状況が厳しい国の1つに挙げられます。大山さんが現地に赴いて実感したのは、食材のバラエティが乏しいために栄養摂取量が不足しているということでした。自給自足の農民が多いにもかかわらず、そもそも育てている作物の種類が少なかったのです。その上、マラウイには雨季と乾季があり、雨季には大雨で作物が流されてしまうことが問題となり、乾季の終わり頃には水不足が深刻になります。また、世界の中で「日本人は勤勉だ」と言われますが、日本人に比べるとマラウイの人々は非常にゆったりしており、新しいことに取り組んだり、工夫したりということにあまり積極的ではないように感じたと言います。
「欧米などからの食料支援が充実していることによって、作物が不作で栄養失調の子どもがいたとしても『そのうち支援物資の食料が届くから』と、支援を待ってしまっているような状況もありました」
 手に入れた食料の保存方法がよくないために、動物や虫に食べられてしまったり、腐ってしまったりする等、貴重な食材が「食品ロス」となっている光景もよく目にしたと言います。
 これらの課題を解決するために、大山さんはマラウイ北部のカロンガ県にある国営病院を拠点に、日本で言うところの在宅訪問栄養指導や料理実演、健康サロンのような地域活動にも着手しました。
 栄養不良の解決のため、大山さんはマラウイに自生しているモリンガの木を活用することにしました。数々の文献でモリンガの葉はたんぱく質、鉄、カルシウム等を豊富に含むことが示されており、WHOも栄養不良の解消にモリンガの活用を推奨しているという報告があったためです。いろいろな地域を回ってマラウイの人々に調理実演を行いながら、調理の仕方、食べ方をアドバイスするだけでなく、モリンガの種や苗を配って各家庭や地域で木から育てることを勧めた他、現地のNGO(非政府組織)と植林も展開しました。
 活動する中で、大山さんと地域の人々とのコミュニケーションはマラウイの現地語で行っていました。マラウイに赴任してから2週間の語学研修で朝から夕方まで現地語を学んだのちに、日々の活動の現場で覚えながら言語を習得していきました。
「コミュニケーションを積極的に取ろうという姿勢でいれば、相手に徐々に伝わるようになり、現地での活動がしやすくなりました。医療にしても生活水準にしても日本との差は大きいですが、人と人とがコミュニケーションを取って親しくなる、信頼しあうということは共通でした」
 大山さんは各地域で調理実演などのデモンストレーションをするときには、事前に一緒にやってくれそうなパートナーを見つけるようにしていたと言います。日本から来た大山さんが一方的に実演するのではなく、そのパートナーである現地の人と一緒になって準備をしたり、料理をしたりすることで、それを見に来た他の人たちの敷居が低くなり、「やってみよう」、「これならできそう」と思ってもらえるからです。

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「イネ・クノクノ(そばにいるよ)」の力

 農村地域には貧困世帯が多い一方で、マラウイの都市部には裕福な層も一定数いました。彼らの中には肥満や高血圧、糖尿病などの生活習慣病を抱えている人も少なくありませんでした。
 あるとき出会った20代の女性は、「太りたい」と言っていました。大山さんから見ても、普通体型で、やせが心配される状態ではありませんでした。大山さんが「問題ない体型だよ」と説明し、女性に太りたい理由を尋ねると、「道を歩いていると、エイズだと思われるから嫌だ」という答えが返ってきました。マラウイの価値観では、太っている状態が健康で富の証と考えられていたのです。
 アフリカの他国と同様に、マラウイもHIV感染症が広まっており、エイズを発症している人も多くいます。大山さんも現地での活動の中で、エイズ患者への食事の提供や栄養指導などを行いましたが、為す術もなく命が失われていく様を何度も目の当たりにし、絶望感にさいなまれたと言います。
「日本でもベッドサイドで患者さんと対話をする機会を多く持つようにしていましたが、その経験はマラウイでも役立ちました。『イネ・クノクノ』は日本語で『そばにいるよ』という意味ですが、医療でできることが限られていたとしても、専門職が共に過ごすことは、患者さんに生きる勇気を与えることができるとわかりました」
 エイズを発症し結核も合併している中、入院できない患者さんの自宅を何度も訪問し、食べられるものを少しずつでも食べるようにアドバイスをした大山さん。患者さんは数週間後に息を引き取りましたが、患者の妻からは「何度も夫の様子を見に来てくれて、それだけでも感謝しています」と言われたそうです。

食と栄養で人と人とをつなぐ、新たな夢にむけて

 大山さんは子どもの頃から料理の手伝いをするのが好きで、小学5年生の家庭科の授業で自分だけが包丁を上手に使えたことがうれしかったのを今でも覚えていると言います。中学生になると、食品成分表で各食材にどのような栄養素が含まれているのかに興味を持ち、高校生のときには部活動のテニスで強くなるために、スポーツ栄養学の本を読み、独学で試合前の1週間の献立を考えて、母親に調理をお願いするまでになりました。自分の体づくりのために始めた栄養の勉強が、管理栄養士養成校で「栄養学」としてさらに深まり、さらに「国際栄養学」に出会ったことで、世界の舞台に挑戦するまでに至ったのです。
 2年間の赴任期間を終えてマラウイから帰国した後は、大山さんはビジネスを学ぼうと異業種に飛びこみ、自身の経験と実績を幅広く培ってきました。改めて海外で活動をしようと準備をしていた矢先、新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延によって、出国を断念。そのタイミングで、かつての恩師から札幌保健医療大学での任期付職員としての勤務の声がかかり、現在に至ります。「自分が影響を受けた国際栄養学の講義のように、いずれは自分の経験を管理栄養士・栄養士の卵たちに伝えたい」と漠然と思っていた夢が、早々に実現しました。

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 大学での任期を終えた後は、札幌とアフリカを農業でつなげたいと大山さんは考えています。札幌市は中心市街地が都市である一方、山間地域もあり、野菜や果樹栽培も盛んに行われています。大山さんはすでに札幌市内の農家といくつかのプログラムを企画しており、農業体験や食品加工体験を通じて、管理栄養士・栄養士と札幌市民がともに農業を理解し、広め、支えていく「文化」になるように仕掛けています。
 今後、海外との移動が可能になれば、アフリカの若者たちを農業研修生として日本に呼んで、彼らに日本の文化と農業を学んでもらい、その技術を母国に持ち帰って栄養課題の解決につなげてほしいと思っています。また、大山さん自身も、将来的には北海道とアフリカの二拠点で活動したいという目標を持っています。その時々で所属するコミュニティで人と人とのつながりを大切にし、経験を糧にしながら、国内外を問わず新しいチャレンジを続けていくことが、大山さんの働き方なのです。

プロフィール:
2010年天使大学看護栄養学部栄養学科卒業。管理栄養士として神奈川県内の総合病院に勤務。その後、2013年から2年間の任期で青年海外協力隊としてマラウイ共和国へ赴任。帰国後は企業活動や経営的視点を学ぶため、北海道札幌市のベンチャー企業で市内最大級のゲストハウスやタンザニア(ザンジバル島)のゲストハウス創設に携わる。その後、委託給食会社勤務を経て、現職。

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